当時はもう……正直、引退の文字が浮かびました--
アルバム『STAR』以来のインタビューになります。あれから約2年、中島美嘉さんにも、世の中的にも、本当にいろんなことがありましたけど、自分の中ではどんな期間だったなと感じていますか?
中島美嘉:……リセットですかね。自分の歌だったり、まぁいろいろと。
--では、ひとつずつ振り返っていきたいのですが、まず『STAR』がリリースされた2010年。10周年のタイミングで美嘉さんは両耳の不調により、休養を余儀なくされました。当時はどんな心境でしたか?
中島美嘉:当時はもう……正直、引退の文字が浮かびました。耳が篭もってしまって、体内の音がすべて反響している状態だったので。
--とても歌える状態ではなかったと。故に日本武道館と大阪城ホール公演を中止することになった訳ですが、それでも美嘉さんは会場へ足を運び、ファンのみんなにお詫びの言葉を送ることにしました。あれはどういう想いから?
中島美嘉:本当に楽しみにしてくれていたと思うので、少しでも……「会いたいな」って思ったんですよね。わざわざ来てもらうのは申し訳なかったんですけど、一言何か言えればなと思って。
--そこで実際にみんなと会ってみて、どんな気持ちになりました?
中島美嘉:勇気付けられましたね。頑張ろうと思いました。
--客席からは「A MIRACLE FOR YOU」を歌う声が聞こえてきたそうですね。
中島美嘉:ビックリしました。
--引退せずに済んだ要因のひとつでもある?
中島美嘉:そうですね。それを聴いたときに「この曲を返さなきゃ」って思えたので。(※彼女は、2011年4月リリースの復帰第1弾シングル『Dear』のカップリングに「A MIRACLE FOR YOU<2011>」を収録。また、復帰明けのツアーで歌唱している)
--休養期間に「一番綺麗な私を」がラジオや有線で大量オンエアされ、2010年USEN J-POP年間総合ランキングで1位を獲得。もちろん楽曲の力ありきですが、ファンからのリクエストが集中した結果だとも思います。精神的にも追いつめられやすい時期において、嬉しい出来事だったんじゃないですか?
中島美嘉:正直、あのときはちょっと他人事のようでしたね。とにかくひたすら治療していた期間で、常にポジティブな気持ちでいられる状況でもなかったので、素直に喜べる余裕がなかったのかもしれない。
--それでも美嘉さんは翌年4月にシングル『Dear』をリリースし、全国ツアーを開催。約半年で復帰した訳ですが、ステージに再び立てたときはどんな気持ちになりました?
中島美嘉:怖かったです。
--具体的に言うと何が怖かったんだろう?
中島美嘉:ステージに立つと、やっぱり……
--いざお客さんの前に立つと思ったら怖くなった?
中島美嘉:うん。
--それまでは、何があってもステージに戻る想いは強くあったんですよね?
中島美嘉:そうですね。
--でも恐怖が生まれた……それでもステージに立てたのは?
中島美嘉:ファンのみんなが優しかったから。いつもは私が「みんなを元気付けてあげられたらいいな」とか思うんだけど、あのツアーばかりはみんなの力でやっと立っていた感じだったんです。
--自分も東京公演を観させて頂きましたが、開演前からファンのテンションが尋常じゃありませんでした。オリンピックレベルの歓声や拍手が飛び交っていて。みんながあそこまで楽しみに待っていてくれたことに対しては、どんなことを思いました?
中島美嘉:そのときはそんなに余裕がなかったので、あんまり覚えてなくて……